講師との指導会議 国語編 (長文注意)

2015年05月16日 | 表町校

マスト学習院 森脇です。

 

本日は表町校の専任講師と会議を行いました。

内容は、「高校数学の普段の授業の進め方」「国語の回答をどこまで書くのか」についてでした。

特に熱が入ったのは、国語の回答をどこまで書くかということについてでした。

議論のポイントとなったのは自明のことを回答に書くか否かということと、またどこまでを自明でどこからは自明でないかの判断をいかにするのかということでした。

取り上げた問題は以下のような内容でした。(問題文・回答は一部変更しています)

 

問 問題文中の「こころを凍らせるような孤独」とはどういうことか、説明せよ。

この問いに対して、「たった一人で(一部略)なんらかの成果を出さなければいけないということ」 という回答は可能か否かということで話は始まりました。

回答のポイントは、こころを凍らせるという比喩表現の説明と孤独という言葉は本文中ではだれのどのような状況を表しているのかを説明できているかどうかにあるのですが、ここで以下の主張が出たのです。

 

主張① なんらかの成果を出さなければいけないという言葉の裏には失敗することができないことやおそれが含まれているので、この表現で十分「こ   ころを凍らせる(=ここでは恐怖やおそれ)」 という言葉の説明ができていると思う。

主張② 問の意図として、比喩表現の具体的な説明が求められているので、こころを凍らせるようなについて、誰のどのような様子かをはっきりと述べなければいけないだろう

 

回答的には主張②に落ち着くのですが、主張①をする生徒にどのように説明すれば納得してもらえるのかを考えることが一苦労でした。

以下のことに気を付ければ何とかなるのではないかと思いました。

・自明であるか否かの判断は個人ではできかねること。

・当たり前の(自分ではわかっている)ことでも説明に必要であれば答えるということ。意味レベルで

・比喩表現は具体的に答えるということ。

・そもそも問題文の趣旨をきちんと理解すること。

 

国語で難しいのは納得してもらうということだと思います。

おそらくそれには、国語が多くの日本人にとって母国語であり、かれらの意思や思考を構成する言語であるため、国語における否定、

特に解釈や意味内容の否定は、しばしばかれらにとって個性(彼らそのもの)の否定ととらえられることがある、

ということが関係しているかもしれません。

乱文、長文失礼しました。


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